大手町散策2 再開発地域と将門塚

2017年05月13日(土)3:39 PM

  前回からの続きです。
                                                                            Bing航空写真(タイムラグがありリアルとは少し違います)

大手町1丁目地区の再開発 
 大手町川端緑道を鎌倉橋付近から錦橋方面に進むと日比谷通り(本郷通り)に出ます。ここで緑道は寸断されます。日比谷通りを渡るには、右方向にある神田方面の神田橋交差点の横断歩道を渡るか、左方向の大手町1丁目交差点の横断歩道を渡るしかありません。
 大手町1丁目交差点に向うと、経団連本部のビルの裏側にある大手町1丁目1番、2番の全区画のビルが消滅していることに気がつきました。近づいてみると再開発のためのクレーンが林立して、ダンプカーが頻繁に出入りを繰り返していました。
   Google マップ 航空写真 3D 
 この再開発地域にあった右側の二棟の建物はかなり古くこの辺りでは低層ですから建築制限の容積率が緩和された今日では建替えやむなし。しかしまだまだ使えそうな左側の高層(地上24階)の三井物産本社ビル(1976年竣工)が解体されているのにはびっくり。もったいない気がしますが、建築基準法に新耐震基準(1981年)が導入される以前の高層建築物ということで、東京の国際競争力強化地域にふさわしくないと考えたのでしょうか。
 このビルの内堀通り側にあった三角形の緑地帯の池で生まれたカルガモの親子が毎年内堀通りを渡る姿がかつて話題になりました。
     
              再開発の詳細は三井不動産のプレスリリース資料参照

将門塚 
 再開発区域は「平将門の首塚」とも云われる将門塚に隣接しています。隣接というよりも将門塚を避けて再開発が計画されたというべきでしょうか。
 
 再開発区域を回ってみると、将門塚の所だけは木が繁り変わらない杜が残っていました。

 将門塚には検証不能ですが、恐れられている「祟り伝説」があります。古墳のような形の将門塚が関東大震災(1923年)で損壊した後、この跡地に大蔵省の仮庁舎を建てようとしたら、大蔵大臣や役人が続けざまに病死した。終戦後、焼野原となった将門塚を含む土地にGHQが駐車場(モータープール)を造ろうとしたらブルドーザーが横転して死者がでた等々。
 境内には祟り伝説を伝える昭和57年の読売新聞の記事のコピーをパウチ加工したものが、三ヵ所の木にぶら下げられていました。意図がわかりません。再開発地の建築主や工事の施行業者に対する何らかの牽制でしょうが、感心しません。
 将門塚のある場所は、730年(天平2年)に祖神・大己貴命(おおなむちのみこと=だいこく様)を祭神として創建された神田明神の旧蹟地。1309年(延慶2年)に将門公も合祀されていますが、神田祭の神幸祭では奉幣の儀という神事が行われる神社発祥の地が粗末に扱われる訳がありません。

 三井不動産のプレスリリース用の資料によると、将門塚は整備された大きな緑地帯に囲まれて鎮座することになります。

               ※三井不動産の発表資料の画像を加工・転載しました。

 

   神田祭 神輿宮入前の練り歩き 5月14日 夕刻

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