天空から 5 二つのオリンピック競技場界隈の変遷を見る(前編)

2019年 11月02日
東京オリンピックの前年
 
 来年行われる東京オリンピックの競技場(工事中)をグーグルアース(3月撮影)で見ていましたが、最近近くに寄る機会があったので、写真を撮ってみました。
 
旧国立競技場地に建設される新国立競技場 9月中旬撮影
1964年の東京オリンピック時の競技場を改修(耐震補強)した国立代々木競技場  10月上旬撮影
 両競技場ともほぼ完成のようです。建て替えにあたっていろいろ揉めた新国立競技場もいよいよ12月21日(土)開場式(オープニングイベント)。オリンピックムードが高まってきました。

新国立競技場地の変遷
 江戸時代のこの辺り一帯は青山氏の大名屋敷で鉄砲場などもあったといわれる広大な地。明治19年(1886年)、この地に日比谷から移転してきた大日本帝国陸軍の練兵場(兵士の戦闘訓練場)が置かれました。青山練兵場と名付けられました。
 この地でいくつかの博覧会が企画されましたが、全て頓挫。明治天皇崩御後、明治天皇を祀る神社を創建することが決定し(明治神宮)、青山練兵場の地にも神宮外苑が造られることになりました。そのため練兵場は明治42年(1909年)に「代々木の原」にできた代々木練兵場に移転・統合されることになります。

明治神宮外苑競技場
 神宮外苑の一角に造られたのが国立競技場の前身となる明治神宮外苑競技場(大正13年=1924年完成)。日本で初めて造られた本格的な競技場で、26段のメインスタンド観客席に約1万3000人、芝生席に2万人収容というスケールになりました。当時東洋一といわれました。
写真は1933年明治神宮体育大会開会式の様子   明治神宮外苑競技場=Wikipediaより
 
 明治神宮外苑競技場は、アジア最大のスポーツイベント・極東選手権大会のメイン会場になり(1930年)、陸上競技の往年の名選手吉岡隆徳、南部忠平、織田幹雄等の活躍の舞台となりました。
 1936年のIOC総会で、アジアで初めてのオリンピックが1940年に東京で行われることが決定され、明治神宮外苑競技場もオリンピックメインスタジアムの有力な候補となっていましたが、最終的には駒沢に造られる新競技場が選ばれました。しかしながら国際情勢が悪化し世界中で戦争が始まるとオリンピックどころでなくなり、日本は開催地を返上せざるを得なくなります(五輪中止)。このようにして1940年の東京オリンピックは幻となってしまいました。
 戦時中明治神宮外苑競技場が注目を集めたのは、戦局が悪化する中、戦争要員確保のためにここで文部省主催の学徒出陣の壮行会が大々的に行われたことでした。1943年10月21日のことです。国内各新聞のトップで扱われ大きなニュースになりました。雨が降る中、大学生2万5000人の行進が行われたようです。
学徒出陣壮行会が行われた明治神宮外苑競技場  写真は明治神宮外苑競技場=Wikipediaより
 
 1945年5月25日の東京大空襲(山の手大空襲)では、明治神宮外苑競技場も爆撃を受け、壊滅的な打撃を受けます。しかし終戦後占領軍に接収された後に改修され競技場として蘇ります。下の写真は昭和22年に米軍が撮影した航空写真ですが、トラックや観客席がはっきりと見えるので改修後の競技場と思われます。
 この競技場を占領軍はナイル・キニック・スタジアム(Nile Kinnick stadium)と呼んでいました。戦死した米海軍のパイロット名前(ナイル・キニック)が由来のようです。キニック氏はアイオワ大学のアメリカンフットボールの名選手、英雄であったということです。米軍が占領地や戦艦等に母国の大統領や英雄の名前を付けるのは珍しくありません。

国立霞が丘陸上競技場(国立競技場)
 この競技場はサンフランシスコ講和条約(昭和27年=1952年)後に接収が解除され、日本側の管理となりますが、アジア大会(昭和34年=1959年)に合わせて国立競技場として建替えられます。他の国立競技場施設と区別するため、正式名称はこの地区のある新宿区の地名をとって「国立霞が丘陸上競技場」と名付けられました。1964年(昭和39年)の東京オリンピックのメインスタジアムとして使用するためスタンドを増築したこの国立競技場が上の写真。米軍撮影の昭和38年の航空写真です。すり鉢状の大競技場で5万4000人収容(実際には8万人くらい入ったこともあるようです)の威容を誇りました。
 1964年の東京オリンピックはアジアで最初に行われる五輪で世界的に注目されましたが、我が国にとっても戦後復興の集大成のような大行事でした。この年に東海道新幹線が開通し都内に高速道路ができ、高価でしたがカラーテレビも普及しました。街には三波春夫さんの東京五輪音頭が流れました。国民の熱い思いが高まり、「戦後が終わった」と云われました。
 国立競技場で行われた開会式や数々の名勝負に多くの日本人が熱狂しました。
(続く)
 要点だけを書いているつもりですが、かなり長くなってきましたので、「国立代々木競技場地の変遷」は次のブログに移します。近々にアップの予定です。
 

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